サイコ・サイバネティックス理論

今「<勝負脳>の鍛え方」という本を読んでいる。
その中で紹介されている理論がサイコ・サイバネティックスである。
人間が目的を達成し、成功するかどうかは、現象の受け取り方次第であり、成功するイメージさえ持っていれば必ずそこにたどり着けるという理論。
アメリカの整形外科医マックスウェル・マルツが提唱したものだそうだ。

似たような話を高校時代の予備校の授業で教師が言っていた。「思考は現実化する」と。
よいイメージも悪いイメージも心に強くイメージしたものは現実化すてしまうことが多い。だったらいいイメージをしなさいと。試験に受かるイメージをしなさいと。

その教師がこの理論を知っていたか否かは定かではないが、当時その言葉にえらく関心して寝る前に成功するイメージしようとした。
しかしよいイメージを想像すると同時に悪いイメージも一緒に浮かんでくるのが私という人間であった。
悪いイメージのほうをかき消そうと、よいイメージを思えば思うほどに悪いイメージが前へ前へと出てくるのである。超ネガティブ人間である。
当時の私に足りなかったことがこの本には書かれている。



サイコ・サイバネティクスを実践するには以下の三つのことが必要である。
1.目的と目標をはっきり区別し、明確にする。
2.目標達成の具体的は方法を明らかにして実行する。
3.目的を達成するまでその実行を中止しない。

そして重要なのが1.のところの目的と目標を設定したら目標のほうに集中せよということである。
例えば、当時の私で言えば、「試験に合格する」ことが「目的」であり、そのために「必要な勉強をする」ことが「目標」であったはずである。
そしてこの理論では目標であるプロセスに集中せよということである。
当時の私は目的しかイメージしていなかったように思う。目標のイメージを集中していれば、また違ったかもしれない。

蛇足だがこの本を読む前にスティーブ・ジョブスに関する本を読んだ。
おそらく彼は成功に対する猛烈なイメージがあり、日々迷いなく行動を実践している人なのだろうと思う。




今私が直面していること、やり遂げなければならないことを整理する。
目的:卒業設計をやりきること
この目的を達成するにはいくつかのフェーズがある。
卒業設計展を主催する側としてやりきること。
卒業設計展の出展者としてやりきること。
作品を手伝ってくれるチームのリーダーとしてやりきること。

それを達成するための目標は以下の2つに集約されると思う。
1.スケジュール管理の徹底
2,集団のマネージメント

とくに手伝ってくれる後輩には自分を含めてチームとして機能するように心がける。
上からトップダウン的に指示だけするのではいけない。
まずは私のビジョンを明確にし、全員で共有すること。
そしてその日なにをやるのか、いつまでに何をやるのか、それが全体の中でどういう意味を持つのかを明確にすることだ。

新しい一年が始まった。今年は何事も狙って、戦略的に過ごす一年にしたい。とても重要な一年の始まりである。

偉大なる都市様のトイレ

バイト前にバスセンターの立ち食いそばを食べるのが最近の日課である。
ああゆうとこで食べるメシはなんでうまいんだろう。
駅にもああゆう店はあるけれど、駅にあるやつにはぐっとこない。
見られている感が強いからだと思う。
バスセンターのはなんかいい位置にあるんだ。
バスセンターは薄暗くて、隅っこにあって、隠れ家っぽさがある。
そういう野蛮な店には興味なしっていう人にとっては全く存在感を感じさせないんだろう。
だけど、一度そのバリケードをくぐってしまうと意外な快適さに気づく。
だからああゆうとこにはリピーターがたくさんいて、いつまでも潰れないのかもしれない。
万代シティにはそういう場所がたくさんある気がする。
特にバスセンターの上にはそういう場所がある。
都市のデッドスペースみたいな場所。
スタバの上はまさにそんな場所だ。
たまにそこで一人ご飯を食べるとほっとする。
そういう場所を無理にパブリックなスペースにしようとしなくていいのかもしれない。
大いなる、偉大なる都市様とつながっていながらも、自分だけのスペースを感じられる。
トイレとかその感じに近いかもしれない。
都市のトイレ的スペースを探せ。

横浜トリエンナーレ

11/30、最終日に行って来た。
時間の関係で新港ピアとバンクアートの2会場のみ見てまわる。

現代アートはちっとも分からないと再認識した。
でも分かる必要もないとも思うし、
そういう拘束力がないところがよかったりもするし、
少し物足りなくもあり、
おかげで疲れることなく、久しぶりに何も考えずに、
休日らしい休日を過ごせた。天気もよかった。




最終日ということもあり、非常に混んでいた。
新港ピアは動線の処理がうまくいってなくて、展示ブースの入り口付近で人が詰まってしまっているところが多かった。楽しかったけど。
たぶんどの会場もこの日は混んでいたんだろう。
アートを見る場も、これだけの人が押し寄せると、
まるでスーパーマーケットのようで、
美術作品が商品のように映った。まぁしょうがない。

バンクアートではグロテスクな展示に言葉を失った。
ああいうのもアートというのだろうか。
衝撃だった。頭から離れない。





同じくバンクアートでの西田司+藤村龍至展を見た。
展示はあまりゆっくり見れなかったけれど、山本理顕さんを交えたシンポジウムは
なかなかおもしろかった。
藤村さんを生で見たのは初めてだった。
雑誌やブログでの印象ではかなりの論客で、もっとがつがつ主張する人なのかと思いきや、
実際に見るととても繊細な印象で、声も張ってないし、静かに語る感じだった。
でもそれは本当に言いたいところを強調するための布石であり、
シンポジウムが終わった頃には想像以上に熱い人だという印象に変わった。
論点が不透明になりかけたときなどは会場の空気を読んで、議論を整理したりと
非常に難しいことを話していながらも、全体の主旨は理解できるシンポジウムだった。
人に自らの主張を丁寧に説明するときにどういう態度で臨めばいいか学べた気がする。






横浜は素敵な街だ。
いい具合に都会だ。都会なんだけど、都会過ぎない。オープンスペースがたくさんあり、
足を休める場所が建物以外にもたくさんある。
昼間とは打って変わって、夜は美しい夜景が見れ、本当に素敵な街だと改めて思った。

幽霊と相対性理論

卒業論文に追われる中、作業を共にする仲間と、夜な夜な宇宙の話で盛り上がる。

ブレーン宇宙論というやつ。
宇宙は10次元で、僕らは3次元の膜の中にいて、だから僕らは3次元しか知覚できない。上の次元は無理そうだけど、果たして下の次元、つまり2次元や1次元は知覚できるのか?概念としては知っているけれど、知覚することは出来るのだろうか。
おそらく宇宙人とやらは存在する。でもそいつらは違う次元の膜にいて僕らには認知することができないんだ。
もし下の次元なら知覚できるとすると、10次元を知覚できる存在は私たちのことを認知しているが、私たちは知覚できないということだ。
それってなんか怖いね。ていう話。


相対性理論について。
速く動く物体は時間がゆっくり進む。モノがあるとその空間は歪む。とかそんな感じ。そこから話は急展開する。



幽霊ってなんだろうね。



外国の幽霊の言っていることなのになにか伝わるとか、幽霊のまわりは温度が下がるとか、そういう話は聞いたことがあるよねって。
幽霊は言語を超越したなにかを発していて、それを私たちが言語に変換して理解しているんだ。
その言語を超越したなにかを例えば、信号とか、波とかそういうものだとすると、結局、光なんじゃないかという話になる。


妄想という名の暴走は止まらない。


そうか幽霊は光だ。




幽霊は光の速度で動いているんだ。

光の速度で動いているものは時間が動かない。

幽霊は歳をとらない。




ふいにアインシュタインのE=MC2を引っ張ってくる。
仮に幽霊の質量が0だとするとエネルギーは無限大だということになる。





で、最終的な結論


幽霊は光速で動く質量0、エネルギー無限大の存在であり、人間には知覚できない層に存在している。






論文がんばろう。

言葉

近頃、人のブログをちょくちょく読むようになった。
著名な建築家の方や、情報発信に意識的な建築学生の書くブログは
非常に勉強になる。
けれど使っている言葉が難しいなとつくづく思う。
地方で建築を学び、彼らの言説をメディアでしか感じ取れない僕らは
彼らの流行語について行けない。
もっとアンテナを張らなければと思う一方、
彼らの言葉を彼らの言葉で理解するのではなく、
自分の言葉で理解してゆこうと思った。

福山雅治がラジオで言っていた。
幼稚園児にでもわかるように説明するのが一番難しいんだ。と

木村総理がドラマ「CHANGE」で言っていた。
小学5年生にも分かるように話しましょうと。

建築家の手塚貴晴+手塚由比は日本の建築界で交わされる言語や概念が
非常に難解で、建築界以外の世界では通用しないのではないかと思ったそうだ。

心にとまった建築や建築家の言説を分かったつもりにならず、
自分の中でひとつひとつ消化してゆこうと思う。